ある歯医者の頭の中

歯医者として、経営・資産運用する者として、食を愛するものとして、学んだことや考えていることをアウトプットします。

苦労はするべきか否か

苦労とは何か。

精神的、肉体的に力を尽くし、苦しい思いをすること。

辞書的な意味はこんな感じです。

言われなくても分かってるよ、という声が聞こえてきそうですね。

具体的な例をみていきましょう。

仕事、これは苦労でしょうか?

例えば、Lineでのやりとりは?

前者は苦労で、後者は違う、というように思いますか?

私はそうは思いません。

楽しくてやる仕事、明確な目標を持ってする仕事などは苦しいとは思わないからです。

もちろん、一時的にしんどい時もありますが、振り返ってみて苦労したな、とは感じません。

逆に、Lineでのやりとり。

これは私にとってはかなりの苦です。

かなり親しい人とのやりとりでさえ、できればしたくないと感じるもの。

用がある時は電話で済ませたいと思うのです。

 

何故こんなことをいうのかというと、苦労かどうかは人それぞれということを伝えたかったからです。

たまたま、私の感じ方が周囲の人から理解されないことが多いので例に挙げただけで、他の誰の例でも構いません。

その事象、行為に対してどれほどの苦しみを感じるか、もしくは楽しみを感じるかは各々の感性によって異なります。

もっと言えば、各人の置かれている状況にも依ります。

つまり、苦労とはなにかを自分の中で問うことに意味はあっても、一般的に苦労とはなにかを定義づけようとすること自体は非常にナンセンスだということです。

 

なので、苦労すべきか否かということを考えるにあたって、各タイミングでそれが自分にとって苦労なのかどうかを考えるべきです。

そして、それを行うかどうかは苦労なのかどうかとは別の次元にあると思います。

利益が得られるのであれば苦労であってもするべきだと思います。

が、コスパが悪いのであれば必ずともそうではないので、バランスを考える必要があります。

逆に、利益にならないのであれば苦労ではないにしてもやるべきではありません。

ただの作業になってしまったり、ストレスになってしまったり、仕事を押しつけられやすくなってしまったり・・・。

社会で生きていくには自分だけでなく周囲のことも十分に考えて生きていかなければなりませんが、漠然と苦労すべきかどうかを悩むのではなく、その行為が必要なのかどうかを考えて行動する方が有効だと思います。

 

こんなことを言っている私も以前は、苦労はすべき、という考え方でした。

たまたま周りにいた人間で思慮深い人が、何がしかの苦労をしている話を聞いたことがあったため、そういう意見に傾倒していきました。

まさに情報のバイアスです。

そもそも、他の人も何か苦労をしているという考えに行きつかなかったうえに、自分が知っている情報のみで誤った結論を出していました。

典型的な愚かな考え方の例です。

 

表題に戻りますが、苦労はするべきか否か。

そもそも苦労というものは人によって異なるが、苦労かどうかに関わらず、利益があるなら行動に移すべき、という結論です。

少しでも、読んでくださった方の糧になると幸いです。